地元を離れて結婚、暮らす事は想像以上の生きづらさだった『生活編』

鳥がさえずり、木々が揺れる音がして、優しい風に吹かれながら薫り高いコーヒーをゆっくりと楽しむ。
そんな素敵な豊かな時間をイメージしてる私の現実は、二人のにぃに達がDSのゲームについてわーわー騒ぎ、2歳児ジャイアンがブログを書く私の首を後ろからプロレス技のように引っ張ってるという非道な状況。
ゆっくり座ることも許されないのかぁぁ!!サバイバーのらうです。
私は関東で産まれ引っ越しをすることもなく、ずっと地元に住んでいましたが、30代で地元を離れる事になり関西で暮らし子育てをしていた。そこで感じる小さな違和感を思い出してみようと思います。
日々の生活での生きづらさ
食材・日用品を買う場所がよくわからない
最初だけではあるが、私にとっては結構なストレスでした。もともとお買い物全般に楽しさを見出せないので、食材を求めて何店舗を回るとか本当に嫌でした。
しかも歩ける距離じゃないというの、「あ、ここ駄目だわ」と思っても移動に時間がかかる。まったくわからない場所に行くというのは毎日迷子な気分だなぁ;と思いました。
- 思っていたより遠かった
- 車じゃないといけないくらい遠い
- 駐車場がやたら狭かった
- 店に行くまでの道に難所がある(対向車が来ると絶望な場所)
- その地域ではみんな知ってる質の悪いものばかり扱う店だった
- 思ってるよりだいぶ相場が高い店だった
言葉の違い
関西弁は全くしゃべれない私。間違った関西弁をしゃべるぐらいなら「そのまま」でしゃべる方がいいと思い関東弁で受け答えすると、どんな人も一度何か飲み込むような間がありました。その間がいつも「よそ者感」を味わう瞬間。仕事をするようになるとビジネス用語にまで影響をしてくるので地元密着型の取引先とかだとより一層厳しくなってきます。
- 「ありがとう」のイントネーションが違うので、「ありがとうの気持ちが相手に伝わらない」気がする。(実際に気が付かれないという場面にたくさん出くわす)
- 「どういたしましょうか」ではなく、「どうさせてもらったらよろしいでしょうか」と下から申し上げる感じ。
- 「ありがとうございます」「失礼します」「お願いします」はだいぶ印象が違うので、出来なくても関西弁で対応
ニュアンスの違い
自分が普通だと思っていることは、そうじゃない事があるんだという認識をもってる方が対応しやすいかもしれないですが、何が間違っているのか指摘してくれる人がいないとわからないところが辛かったです。
【例文1】
らう「重そうだね;どれか荷物持ってあげようか?」
旦那「何うえからゆうてんねん。」
不愉快な態度になるのでした。(あれ?なんかおかしいぞ。なんで怒ってるんだろう?)とかなり長いことなぜ怒ってるの理解できませんでした。
【例文2】
らう「わ!ずぶぬれじゃん!タオル持ってきてあげるよ!」
旦那「そんなん上から言われとうない。」
どれがNGワードだったかわかりますか?
その答えは「○○してあげようか?」という言い回し。
「荷物持ってあげようか?」関東では普通に使用する言葉で一般的に「親切」な言葉の認識だけど、関西の私が住んでいた地域ではなんと「見下す」言葉になるようでした。
信じられない・・真逆という仕打ち!!
旦那のママが私たちが話してるのを聞いて、私にこっそり教えてくれた。
「そうーやなー、してあげようか?とは言わへんな。私も、らうちゃんと話してて「ん?」って思ったことあるんやけど、それやったんかなw」と言われました。ではなんて言ったらよかったのか。
【その地域の正解】※あくまでも私が住んでた地域の解答ですのでご注意ください
「重そうだね;どれか荷物持ってあげようか?」→「重そうだね;どれか荷物持とうか?」
「わ!ずぶぬれじゃん!タオル持ってきてあげるよ!」→「わ!ずぶぬれじゃん!タオル持ってくるよ!」
ニュアンスの違いにたびたび混乱し、前向きに学ぶ自分がいました。強く強く意識しないと「○○してあげようか」は治りませんでした。間違えるたびに言いなおし、会社ではより一層気を付けるようにしました。今はその意識するというのが抜けず、○○してあげようか?と言われるとビクっとして、「上から言われてるわけじゃない。」と逆に言い聞かせないといけなくなっちゃったので難儀です。
地元ではないところで生きるという事
言い切れないほどの不自由さがありました。地元を愛している!とかそういうのではない。新しい文化やそういうことの発見は刺激的でとても楽しいけれど、「よそ者感」がいつまでも続くのが寂しかったです。結婚するのであれば、お盆や正月に実家に帰りたいなら「もちろん帰るよ?」という内容を宣言しておいたほうがいいと思います。故郷が大嫌いなら別だけど、日本にもまだ古い古い考えの地域も人もいるということを忘れてはいけないと痛感しました。
地元愛が普通だったとしても、肌で感じるホームは心地よく、アウェイの雰囲気から自分を取り戻すことが出来ました。