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DVモラハラの被害者体質になった原因を探る(高校)全員がいい意味でヘンタイ

2018/10/03
 
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こんにちは、らうです。

被害者体質になった原因を探るシリーズ。

すでに幼少期で自己肯定感の低い被害者体質になっているのに気が付く。

DVモラハラの被害者体質になった原因を探る(幼少期)

元気でハツラツと生きてた時期もあるので、その「元気さを支えたもの」を探すことで、今のどん底から抜け出せるかもしれない。

高校生は私にとって一番自分らしく、夢中になって過ごしていた時期だ。

モラハラとは一番遠い場所にいた気がする。

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高校

全員がいい意味でヘンタイ

黒歴史のような中学時代。

DVモラハラの被害者体質になった原因を探る(中学校)担任の先生がクラス全員を監禁する

そんなものが嘘みたいに高校は平和そのものだった。

何より学校中が変人だらけで、「私は個性がなく普通過ぎるかも」と思うほどだった。

 

 

学校の掲示板でイラストの個展を開いてる生徒。

廊下をウクレレを弾いて練り歩く生徒。

吹き抜けでオペラを歌う男子生徒。

フルメイクをしたモデルに本気のカメラで撮影する生徒。

校庭のど真ん中で寝ながら青空を見る会を開いている生徒。

ローラースケートで授業を移動する生徒

石膏像を抱きしめる女子生徒(多数)

 

全員がいい意味でヘンタイだった。

 

 

普通軸がどこにも見つからない学校だった。

それぞれが個性をむき出しにして、面白がるのが普通だった。

 

自分の気になる事はとりあえずやってみる

常にワクワクしている日々の中で、

その時の私には無意味なものなどなかった。

 

夜の海を見てみたい!

陶芸をやってみたいから窯元にいこう!

染を学びたいから美術の実習生に聞こう!

でっかい油絵を描いてみよう!

服を縫ってみよう!

ジャズピアノをやってみよう!

気持のよい図書館を遠くまで探しにいこう!

商店街の看板を描く仕事をやってみよう!

本を読む自分になってみたいから読んでみよう!

泳げるようになったらカッコいいからバタ足から習いに行こう!

流行ってなくても自分が好きって思える音楽に出会いたいからCD屋にいこう!

 

 

出来るできないは関係なかった。

「やりたいからやってみただけ」

 

 

いつからそういう事をしなくなったんだろう。

どこかの時点から、絶対的にこの「やりたい」がなくなっている。

 

大学受験で少し思い出す劣等感

高校2年生になったぐらいから、美大ってカッコイイなぁ!と思い始めた。

美大生・・・・うーん。素敵!!

この「全員がヘンタイ」っていう状況がもっと大きくなる大学。

居心地がいいに違いない!

クラスの半分は美大を受験する学生だった。

高校卒業後就職するなど考えられなかった。

ただワクワクする方へ!しか考えてなかったと思う。

 

親に相談する。

美大に行きたいからアトリエで絵を勉強したい。

反対はされなかった気がする。

浪人は許さないとだけ言われた覚えがある。

 

「弟の成績が壊滅的だから、きっと大学いけないわ。

あの子に貯めてる分はあるからそれで行かせてあげる。

弟に感謝しなさいよー」と言われた。

 

(両親の計画の中で私はやはり二番手なんだな。)と思ったのをはっきり覚えている。

でも高い学費だし、アトリエも高い。ありがたい!と思った。

「そうだね!よかったよ。あの子が成績悪くてねーフフ♪」

なんとなく少しイラっとしながらなるべく考えないようにしていた。

ただ、失敗は許されない。というプレッシャーがすごくかかった。

 

先生に酷く醜いものを見る目で見られる

アトリエでは楽しいとか嬉しいとかそういうのはなく、

とにかくデッサンとデザインを描き続けた。

先生に絵が投げられることもあった。辛く苦しかった。

受験対策のデッサン。

他のアトリエと比べると、どれが自分がいるアトリエの絵がわかるぐらい、

みんな同じようにならされていく。

 

何が絵なのか。

 

死ぬ物狂いで出来上がった先は、

上手にみんな同じデッサンだった。

とにかく受かれば良い。必死だった。

 

そして私の中での第一志望の美大に合格した。

喜ぶ私にすごく冷たく刺さるような視線を感じる。

 

アトリエの先生がすごい形相で睨んでいた。

アトリエとしての業績になる先生希望の大学は落ちたからだ。

 

私は希望の大学に受かったのに、

酷く醜いものを見る目で見られるあの瞬間が忘れられない。

目が合ってるのに先生は目をそらさず

こちらをずーーーと冷たく睨んでいた。

私はその目を見て喜んだのを、恥じてしまった。

 

そしてアトリエの帰りに泣いた。

期待に添えなかった。恥じろよと目が言ってた。

 

 

あぁ・・・あの目は、

モラハラ夫が私に見せていた目にそっくりだった。

 

まとめ

被害者体質になる原因はすでに幼少期に出来てる気がする。

そこの部分に関する言葉は、私を大きくえぐる。

えぐられても回復する方法をいくつか持っていれば、底に落ちることもなく

「あれ?なんか今何かあった気がするけど、まぁいいか」ぐらいに受け止めないことが出来る。

 

受け止めない

 

それって逃げてる気がしていけない事のような気がしてたけど、

じゃあ例えばアトリエの先生の冷たいまなざしを深く受け止めてたとして、

「何か自分にプラスになったか」と考えてみても、何一つ何もない。

怒ってる原因が、先生のエゴなだけだからかな。

受け止めてたら「自分にマイナスの感情」以外なにもない。

エゴのかたまりモラハラ夫に通じる心得になる気がする。

 

相手のエゴを受け止めても、何も自分に得るものはない。

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