DVモラハラの被害者体質になった原因を探る(小学校)

こんにちは、らうです。
私ってなんて平和なんだろうなーと思っていた小学生時代。
比較的楽しく元気に自分に向かって遊んでいた気がするけれど、家の縛りは厳しかった。
小学生
気が強く、自分を楽しむ
秘密基地をつくったり、絵をかいたり、ピアノを弾いたりと自分が面白いと思う事をマニアックなまでに熱中して遊んでいた。毎日が楽しすぎて忙しい!と思っていた。
誰かに優しくしようとか、自分を否定したりするような、そういうものはほぼなく「私が楽しいからやっている」を夢中でやっていました。
6年の時、私の友人の顔をみて「顔が嫌い」だとみんなの前で言った先生の教室にツカツカ入っていって「大人としてそれはいかがでしょうか?謝ってください」と授業中に乗り込むような正義感が強い、怖いもの知らずな子でもあった。
祖父に理不尽な事で平手打ちをされる
弟の面倒をよくみたけれど、全然かわいいと思えませんでした。
よくわかんないけど憎たらしい!ぐちゃぐちゃにしてやりたい!
遊んであげないとすぐに泣いて、しつこく付いてくる。
私は自分の「楽しい」をしたいのになぜか姉の方にはいかず私にしがみついてくる。
そんな時祖父は「何泣かしてるんだ!!」と私はお風呂場に連れて行かされ平手打ちをした。
泣いている理由など聞いてくれない。泣かしてるのは私だという。
硬い祖父の手はとても痛く、お風呂場に響く音も「パチーン!」と高い音で鳴った。
「イーチ!」ぱちーん!
「ニー!」ぱちーん!
「サンー!」ぱちーん!
「シー!」ぱちーん!!
「どうだ!わかったか!!泣かせるな!!」と両ほほが切れるようにヒリヒリして、情けなく屈辱的で、動けない恐怖。
自分がしたいことに忙しいので、遊んであげなかっただけなのに叩かれる。
アイツが勝手に泣いただけなのに。あの子を満たさないと私が叩かれる。
叩かれる私を弟が隙間から見てる。
泣いていたはずなのにニヤニヤと笑って見ていた。悔しかった。
弟は自分が泣くと祖父が私に報復を与える事を覚えて、私が思い通りにならないとわざと泣くようになった。
家では祖父が絶対的存在だった。
お父さんとお母さんは祖父に何か言えるとも思ってなかったし、この家の決まりすべては祖父が決めるものなんだと思っていた。
だから祖父が怒ってる事=お父さん・お母さんも怒る事だと思って、叩かれた事をいう事はなかった。
なぜなら追加でまた怒られてしまうかもしれないからだ。
高学年のお兄さんに息が出来ないくらい蹴られる
3年の時、みんなでドッチボールをしてたら邪魔してきた6年生にあまりに酷くふざけているので
「薮田!どけよ!」とつい言ってしまった。
姉の同級生だったし、姉が「薮田」と呼んでいたのでそのまま呼んだ。
「なんだとゴラぁ!」と遠くから歩いてくる。
怖くて動けない。やばい・・超怒ってる!!
よく見るシュートのスタイルでお腹を蹴りあげられた。
(サッカー部は人蹴っちゃダメでしょ・・・)と心の中で後悔する。
息が出来ない・・・息が・・
「女のくせに生意気なんだよ!」みんなの見ている前で立てなくなり、屈辱だった。
うずくまる私に誰も近づいてこない。
薮田は罵声をあげ、私にひどい言葉を100倍にして返した。
先生はこない。その後も誰も寄ってこなかった。
遠くから蹴りに来る姿は、その後も何度もフラッシュバックした。
旦那が私を蹴るときに向こうから歩いてくるのを見て余計重なるようになった。
小学校を振り返って
自分のやりたいことをいろいろやって楽しんでいた小学時代でした。
意識は他人よりも家族よりも「自分」に向いていたため、今思えばとてもいい状態だったのかもしれない。
こうして文章にして思いめぐってやはり「男だから弟は大事、次女は価値が劣っている」と感じさせられるところで引っかかってると気が付く。
その思いは大人になった今も度々感じる機会が多い。
むしろもっと今のほうが多いのかもしれない。
「私が高い天井、水が溜まってるところ、笑う人形が置いてある場所」に軽い恐怖を感じるのは、お風呂場のトラウマだろうか!とちょっとハッとしました。
私が苦手な場所はまさかの夢の国、ディズニーランドのイッツアスモールワールドです。
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